十干の誕生秘話。陰陽五行は無関係だった【東洋占術・四柱推命の起源】

十干の起源 10本の指  琉球四柱推命
元々十干の起源は10本の指のことだった

先日の初級講座で、意外と知っている人が少なく、反響が大きかったお話のご紹介します。
私の初級講座では、まずは四柱推命というか、東洋占術の起源からお話をしていきます。

四柱推命の技術向上にはならないかもしれませんが、世の中に出回っているおかしな情報などに惑わされない為にも、これから自ら占術のレベルを上げていく為にも、起源を知ることは大切だと考えるからです。

十干の起源

元々、十干は10本の指のことであり、また、ものや日にちを数えるために使用されたものでした。
そこから時が経って、各指に「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」を当てはめられました。つまり最初から十干に「甲」「乙」・・・などがあったわけではないということです。

古代中国人は1カ月(月の周期)を上旬、中旬、下旬の3つに分け、10本の指を折って数え3週(10日×3)をひと月にしました。この周期を朔望月(さくぼうつき)といいます。

元々、両手の指のことを「浣(カン)」と呼び、それが「干」となり、それを10と合わせた造語で十干と呼ぶようになったのです。
つまり、十干は10本の指のことであり、また日にちを数えるために使用されたものです。

十干の起源 十干とは10本の指のこと

干支暦

また、殷時代後期の遺跡から、日にちが干支で表されていた甲骨文字が発見され、干支暦が占いに使われていたことが立証されました。

つまり、この干支はただの日時を示すだけのものではなく、運命を占うのに必要なとても重要な暦だといこうとがわかります。

四柱推命や東洋占術の歴史が古代から一目でわかる年表
四柱推命や東洋占術の歴史が古代から一目でわかる年表

十干は「干支暦」や「陰陽五行説」よりも以前からあった

当然ですが、元々十干には五行がありませんでした。
甲は「木」、丙は「火」、などというのは後付けなんですね。

具体的には、陰陽五行が広まり様々なものに五行配当によって五行の振り分けが行われる時代になって初めて十干にも五行が備わったのです。
十干にも陰陽五行が当てはめられたということは、つまり、初めて五行説の相生・相剋の関係性が十干にも生まれたということです(詳しくは「陰陽五行説」にて)。

また、日にちは主に農事に用いられるため、原初の甲乙丙丁戊己庚辛壬癸は、のちに植物の成長過程を10分割したものをそれぞれに当てはめられましたと一説になります。

まとめると、
十干は元々は日にちを数えるためのものであり、それが各指に名前が付いて、そえぞれに意味ができ、のちに干支暦に用いられ、さらに後に陰陽五行と繋がったということです。

「10日を数える指」→「各指に名前が付く」→「各指に意味(成長過程)が付く」→「干支暦」→「陰陽五行」

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