第二章⑹ 四象十二支論③「土用の初期段階」との分岐

【第二章】四象十二支の世界

前回、十二支を四方に配置すると、東・南・西・北に三支ずつが収まることを確認しました。
「十二支」は四つの方位で、きれいに成立しています。しかし、「五行」は木・火・土・金・水の五つです。するとここで問題が生まれます。

四つで成り立っていた四季・四方の世界に、五行の「土」をどう組み込むのか。

つまり、これは

四象に五行を取り入れる場合、どう融合したらいいのか

という問題です。
ここからは『十二支の四分構造』と、そこに後から重なっていく『五行の五分構造』を分けて見ていきます。

四分体系と五分体系

この問題を考えるうえで、参考になる研究があります。
朱興國という学者で、古代中国を研究する中で、四季・十二月・四方・十二支などの四分体系と、五行・五季などの五分体系を区別して論じています。そして、

この二つは全体として対応しながらも、細かく見ると完全には一致しない

と指摘しています。これは今回の問題を考えるうえで重要です。たとえば、

  • 四季は四つ
  • 四方は四つ
  • 十二支は四方に三支ずつ配当できる
  • 五行は五つ
  • 五行には五つの季節配当もある
  • 十干は五行に二つずつ配当できる

というように、それぞれの体系には、それぞれのまとまりがあります。

ところが、これらを一つに重ねようとすると、土の扱いで問題が生じます。

四季には春・夏・秋・冬しかありません。

四方にも東・南・西・北しかありません。

では、五行の「土」は、どこに入るのでしょうか。

ここに、四象と五行を融合する際の問題が見えてきます。

そして、この問題を考えるための非常に重要な資料が、馬王堆帛書(まおうたいはくしょ)です。

馬王堆帛書『陰陽五行』乙篇・甲篇の「分土」

馬王堆帛書『陰陽五行』には、次の記述があります。

春三月,木分土。
夏三月,火分土。
秋三月,金分土。
冬三月,水分土。

まず、この原文をそのまま見ておきます。

ここで重要なのは、春・夏・秋・冬という四季に、木・火・金・水が対応し、そのうえで「分土」と書かれていることです。少なくとも、この記述から、

春夏秋冬を担当する木・火・金・水と、土との間に、一定の期間を分ける関係が設定されている

ことは読み取れます。これは現在の五行理論では非常に重要です。
なぜなら、土を独立した第五目の季節として置くのではなく、すでにある四季の中に「土を組み込もう」としているからです。

四季を五つに作り直すのではない。
四季を残したまま、土を参加させる。

この発想が、もうすでに、ここに見えているのです。

「○三月」はどう読むのか

ここで、もう一つ重要な問題があります。
「春三月」「夏三月」「秋三月」「冬三月」をどう読むのかです。

もし、「春三月」を「春の三か月」と読むなら、

春の三か月を木と土で分ける。
夏の三か月を火と土で分ける。
秋の三か月を金と土で分ける。
冬の三か月を水と土で分ける。

という意味になります。

この場合、各季節の中に土の時間を分けていることになります。これは、後世の土用を考えるうえで興味深い形です。

しかし、もう一つの読みがあります。

「秋三月」を「秋の第三月」と読む可能性です。

もしそう読むなら、

秋の第三月を、金と土が分ける。

ということになります。この読みは、後世の辰・未・戌・丑という四季末の土配当を考えるうえで、さらに興味深いものになります。

もちろん、この一節だけから「戌=土」と導くことはできません。しかし、

四季の第三月、つまり季節の最後に土を置く

という発想の先行形態として見ることはできます。ここは、現在の五行論にとって重要なところです。

「分土」は、四象と五行の融合を見る手がかり

馬王堆帛書の「分土」を、ここで現在の土用そのものと考える必要はありません。
むしろ、切り分ける必要があります。


四象十二支論は、
十二支」には、もともと四方三支
  寅・卯・辰=東方
  巳・午・未=南方
  申・酉・戌=西方
  亥・子・丑=北方

という四分構造があったのではないか
ということですが、

その一方で、五行思想が発展すると、

木・火・金・水に土を加えた五分体系を、四季・十二支などの四分体系にも対応させる

必要が生じてきます。
その接点の一つとして考えられるのが、馬王堆帛書の「分土」です。つまり、

四象の四分構造に、五行の五分構造が重なっていく。

その過程で、土を時間の中へどう組み込むかという問題が生まれる。「分土」は、その問題に対する初期の調整方法だった可能性があります。

言い換えると、ここが四象の四分構造に、五行の五分構造が重なっていく『分岐点』であり、
ここを境に≪四象十二支の時代≫と≪現行五行の時代≫の始りとを切り分ける点になるということです。

「土用」につながる

後世には、土を四季の終わりに配する土用の考え方が成立していきます。
馬王堆帛書の「分土」が、そのまま後世の土用を意味するわけではないかもしれません。しかし、少なくとも

四季を維持したまま、その内部に土の時間を設ける

という考え方を見ることはできます。
特に「秋三月」を「秋の第三月」と読む可能性を考えるなら、季節末に土を置くという後世の考え方とのつながりは、さらに興味深くなります。

したがって、馬王堆帛書の時期は、

四象的な四分構造から、後世の五行思想へ展開していく原始的な分岐点の一つ

だった可能性があります。そして、そこから後世の土用へつながる考え方が発展していったと見ることができます。

朱興國の研究と四象十二支論

ここで、もう一度十二支に戻ります。

十二支は、

寅・卯・辰=東方
巳・午・未=南方
申・酉・戌=西方
亥・子・丑=北方

という四分構造を作ります。ここには、第五の「土」の区画はありません。
ところが、五行を十二支に対応させるようになると、

寅・卯=木
巳・午=火
申・酉=金
亥・子=水
辰・未・戌・丑=土

という配当が現在では成立しています。
その結果、四方の各グループから一支を取り出して、土に配当するという形が生まれるわけですが、この問題を考えるうえで、中国の学者である朱興國の研究が重要な先行材料になると思います。

朱興國は、五行・五季・十干を『五分系』、四季・十二月暦・四方・八卦を『四分系』とし、
五部系と四部系は「全体としては対応するが、局部では完全に重合しない」と論じています。
さらに、四分系として十二支を春夏秋冬に三支ずつ配すると土の位置がなくなることまで明確に述べています

朱興國の研究は、=四象十二支論ではありませんが、朱興國が示した「四分体系と五分体系のズレ」を踏まえ、そのズレを十二支の成立構造から考え直したものが、ここで提唱する四象十二支論です。つまり、

四分体系と五分体系が完全には一致しない。

なぜ一致しないのか。

そもそも十二支の側は、五行とは別の四分構造として成立したのではないか。

この順番で考えるわけです。

四象十二支論が問題にするもの

この視点に立つと、現在の五行論を最初から完成した体系として見る必要はなくなります。

五行には、さまざまな考え方が古代からあります。

五行を方位に配する方法。
五行を季節に配する方法。
五行を十干に配する方法。
五行を十二支に配する方法。

そして、それらを組み合わせる方法。

これらがすべて最初から一つの体系として完成していたわけではなく、
四分体系と五分体系を結びつけながら、さまざまな五行論が形成されていった
と考えることができます。

馬王堆帛書の「分土」は、その過程を考えるための重要な資料です。
そして、四象十二支論は、そのさらに手前にある十二支の構造を見直します。

十二支は、五行が成立する以前から、四方三支という構造を持っていたのではないか。

もしそうなら、現在の「十二支=五行」という見方は、

十二支の本来の構造そのものではなく、後から五行体系が重ねられた結果

として理解することができます。この視点は、単なる古代思想史の問題ではありません。
四柱推命で十二支をどう読むのかという問題にもつながります。


現在の五行配当を当然の前提とするのではなく、
五行が十二支に重なる以前の構造を知ったうえで、十二支を読み直す。
四象十二支論は、そこから始まります。

まとめ

  • 十二支は、東・南・西・北に三支ずつ配する四分構造を作る。
  • 一方、五行は木・火・土・金・水という五分構造である。
  • 四分体系と五分体系は全体として対応するが、細部では完全には一致しない。
    朱興國は、この問題を四分体系と五分体系の違いとして論じている。
  • 馬王堆帛書『陰陽五行』には「春三月,木分土。夏三月,火分土。秋三月,金分土。冬三月,水分土」とある。
  • この記述から、四季を担当する木火金水と土との間に、一定の期間を分ける関係が設定されていることが読み取れる。
  • 「秋三月」を「秋の第三月」と読むなら、季節末に土を置くという後世の土配当を考えるうえで興味深い先行形態になる。
  • この「分土」は、四象と五行が融合していく初期段階の一つだった可能性がある。
  • そこから、後世の土用や十二支への土配当へと展開していった可能性も考えられる。
  • 四象十二支論は、五行論との融合前のに注目する。

四つで成立していた四季・四方の世界に、五つ目の「土」が入ってくる。
そのとき、土をどこに置くのか。馬王堆帛書の「分土」は、その問題がすでに意識されていたことを示す重要な資料です。

そして、土はやがて「中央」に置かれるだけではなく、四季の中へ、さらに十二支の中へと配当されていきます。

次回は、その中央にあった土が、なぜ国家秩序の中心へと変わっていったのかを見ていきます。

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