【第一章】五行を疑え

【第一章】五行を疑え
「陰陽五行」や「四柱推命」という言葉を、私たちは日常のどこかで必ず耳にしている。それは東洋の占い、漢方、風水、あるいは年中行事の背景にある「古来より伝わる大自然の法則」として、私たちの常識に深く溶け込んでいる。
だが、書店に並ぶ解説書を開き、あるいは先達から学び、私たちが「絶対の真理」として信じ込んでいる現在の五行説は、実は大自然が描いたオリジナルの設計図ではない。それは歴史のある決定的な地点で、時の為政者や思想家たちの手によって人為的に歪められ、固定された「加工された形」なのだ。
本書の第一章では、私たちが日頃抱く「占術への違和感」を確信へと変えるため、二千年もの間、誰も疑わなかった五行の「人為的改ざん」の歴史を紐解いていく。偽りの塗装を剥がした先に現れる、原初の姿へと迫る旅を始めよう。
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第一章⑻ 引き継がれたバトン――消された五行の本質を「琉球四柱推命」が掘り起こす理由

第一章の最後に、これまで見てきた五行思想の歴史を振り返ります。自然観察から生まれた五行に、儒教や政治思想がどのように重ねられていったのか。そして、八島高明先生の「現行の五行、特に土の扱いはおかしい」という直感を手がかりに、琉球四柱推命が目指す「自然の原型を取り戻す」という思想へとつなげます。
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第一章⑺ 諸子百家の攻防戦と歴史の舞台裏――ピュアな科学が「政治のプロパガンダ」に変貌した瞬間

もともと自然の観察から生まれた五行は、前漢中期、儒教の道徳と皇帝の統治理念に結びつくことで、政治を正当化する道具へと変わっていきました。儒家、武帝、陰陽家という三者の思惑から、五行が変質していった歴史を見ていきます。
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第一講⑹四つで閉じる宇宙と、五つに開いた宇宙――五行の前にあった世界の骨格

いま私たちが当たり前のように使っている五行は、最初から「5」だったのでしょうか。土を含まない「4」で閉じた古層の宇宙観を手がかりに、暦や儒教、政治によって五行に重ねられていった歴史の層を見つめ直します。
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第一章⑸その五行は「運命」を観ているか?

これまで当たり前のように使ってきた五行は、本当に人の運命を観るためのものなのでしょうか。前漢の儒教化や政治利用の歴史をたどりながら、五行に重ねられた道徳や政治思想を切り分け、占術に必要な「実務の道具」としての五行を見つめ直します。
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第一章⑷ 易と思想、命術と構造

四柱推命のような命術と、『易』のような卜術は、同じ東洋占術でも仕組みが異なります。命術は自然の構造を理論として読み、卜術は思想や世界観によって象を読み解く。その違いを整理し、五行に後から重ねられた思想をどう扱うべきかを考えます。
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第一章⑶土だけが中央に座る理由――土の「特別扱い」をほどく長い旅

なぜ五行では「土」だけが中央に置かれ、特別な位置を与えられているのでしょうか。古代の四方位・四季の宇宙観から、土が中央へと組み込まれていった歴史をたどり、「土=支配する中心」ではなく「変化の場」として捉える視点を考えます。
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第一章⑵五常(五徳)──儒教が五行を上書きした理由

「仁・義・礼・智・信」という五常は、なぜ五行と結びついたのでしょうか。孟子の四端から五常が整えられた歴史をたどり、董仲舒と前漢の儒教化によって、五行に道徳と国家思想が重ねられていった過程を読み解きます。
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第一章⑴四柱推命を思想で占っていいのか

四柱推命で使われる「木=仁」「金=義」といった五常と五行の結びつきは、本当に自然から生まれたものなのでしょうか。五行に後から重ねられた儒教の道徳という層を見つめ直し、四柱推命で五行をどう捉えるべきなのかを考えます。