琉球四柱推命|社会化する「儒教化」陰陽五行思想|消えた陰陽五行【第四章】儒教に飲み込まれた陰陽五行⑴

消えた陰陽五行【第四章】儒教に呑まれた陰陽五行

第三章では、命術の成立について確認しました。
後漢に萌芽が生まれ、
魏晋南北朝を経て発展し、
唐代において体系化へ向かっていく。
その過程の中で、命術は徐々に一つの技術体系として形を整えていきます。

特に重要だったのが、
李虚中の時代に、命術の体系が形成され
そして、
徐子平の時代に、四柱推命の形式が確立した
という流れです。

これによって命術は、単なる経験的な判断から、
一定の構造を持った技術へと移行していきました。

では、その後の命術は、どのような世界の中で発展していったのでしょうか。

第四章では、「四柱推命」の黎明期とされる宋代以降の世界を見ていきます。
この時期には陰陽五行の歴史において、大きな世界観の転換が起きるからです。
これは単なる理論の発展だけでなく、命術が依拠する陰陽五行そのものが、社会における位置づけを大きく変えていった転換でもあります。

限られたエリートから社会全体へ

それまで、儒教体制のもとで再編された陰陽五行は、主に官僚層を中心とする学問体系の中で運用されていました。
しかし宋代以降、この構造は大きく変化します。
儒教化された陰陽五行が、社会全体へと広がっていくのです。

その背景には、四つの大きな力がありました。

  1. 科挙制度
  2. 朱子学
  3. 学問の統一
  4. 印刷技術

これら四つは、それぞれ異なる方向から作用し、重なることで儒教化された陰陽五行を社会の「標準的な世界観」へ引き上げていきました。
この力を1つずつ見ていきます

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