第五章では、四柱推命が今日まで解決できていない課題
――自然の摂理に合わない「土の歪み」の問題――
に対して、
≪蔵干理論を採用しない≫
という解決策を、
「自然循環」「命式の構造」「干支の歴史と古占術」「他流派」など、さまざまな角度から示してきました。
しかし、第五章の最後に、一つの疑問を残しました。
「でも、蔵干は古典に書いてあるでしょ?」
これは、非常に重要なポイントです。
蔵干も、元命も、格局も、四柱推命の古典に書かれている。
だから、それこそが「本来の四柱推命」ではないのか――四柱推命を真剣に学んできた方ほど、そう感じるはずです。
というよりも、そんな人ほど、第五章の幻の陰陽五行に対して「眉唾」だったのではないでしょうか?
よく第六章まで読んでくれました(笑)
しかし、第五章はかなり論理的に示した内容だったと思います。
これまで、「理論的にありえない」と言われたことはありません。それだけ琉球四柱推命・幻の陰陽五行理論に自信をもっています。
もし、反論があるとすれば、この古典に関してではないでしょうか。
自分の流派の蔵干理論まで深く研究している人でない限り、まさにこの「古典の権威」こそが新理論を受け入れられない一番のネックになると思います。
だからこそ、第六章ではこの「古典は信頼に足るのか」という疑問をテーマにします。
そして、先に結論を言います。
中国の古典は、「書名」や「作者の名前」が記されていても、それが正しいとは限りません。
中国では、「古典に書いてある」ことは、「昔からある」ことの証明にも、「その作者が本当に書いた」ことの証明にもならないのです。
第六章「四柱推命の不都合な真実」では、技術の解説を一旦離れ、この古典そのものの正体を徹底的に確かめていきます。
あなたが信じてきたその古典は、本当に信頼に足るものなのか。
中国占術史の「名前と時代のトリック」の具体的な中身へ、さらに深く踏み込んでいきましょう。
その第一歩として、中国の古典が持つ「呪縛」を見ていきます。
中国の古典は「仮託(かたく)」こそ王道の文化
先人の名で知識をまとめるのは、中国古典の慣行だった
中国古典を学ぶ際に最も疑うべき、中国古典の大きな罠。
それが、「仮託(かたく)」という王道の文化です。
中国の古典では、書物に記された作者と、実際にそれを書いた人物・時代が一致しないことが珍しくありません。
なぜ、そんなことをするのか ――――
古い偉人の名を冠して、その学説を権威付け、信用させて広めるため。
新しく優れた理論を、先人の名のもとにまとめ、流通させる。
これは当時の中国の学術文化の中で、一つの「慣行」であり、ごく普通のやり方だったようです。
「それって、偽物ってこと?」
現代の感覚ならそう思われるかもしれません。
しかし、彼らにとっては、
「尊敬する先人の名のもとに、自分たちの知識を連ねていく」
ことこそが、知恵を後世に紡ぐためのリスペクトの形でもあったのです。
……まぁ、
≪尊敬する人の名を借りて、中身の違う別の知識を広める≫なんて神経は
私には到底ないので、一切共感はできませんが(笑)。
そして、ここで本当に問題なのは、
「後の時代の読み手が、その表紙の名前をピュアにそのまま信じ込んでしまうこと」にあります。
『論語』は孔子が書いた本ではない
最も身近な例が『論語』です。
『論語』
論語は孔子とその弟子たちの言葉や問答を集めた言行録で、儒教の最も基本的な経典の一つです。
孔子の書と思われがちですが、実際は孔子の弟子や孫弟子たちが編纂したものです。
成立:戦国時代〜前漢の初めごろ
孔子の死から少なくとも数十年〜200年以上の差があります。
孔子だけではありません。
儒教の経典に限らず、道教の聖典、神話の書、そして占術の書まで、ジャンルを問わず同じことが起きています。
『易経』の十翼
十翼は『易経』の本文(卦と爻の言葉)に付けられた十篇の解説で、易の考え方や哲学を説いた部分です。孔子の作とされてきましたが、北宋の学者・欧陽修(おうようしゅう)らが疑い、いまでは孔子の作ではないことが定説です。
成立:戦国中期以降
孔子の死から少なくとも約100年の差があります。
『老子』
老子は「道(タオ)」と「無為自然」を説いた、道家の根本経典です。
春秋時代の老子の作とされますが、老子本人の実在に疑問があり、最も古い現物(戦国中期の墓から出土)は、現在の『老子』とは構成が違います。
成立:最も古い現物(郭店楚簡)は戦国中期
その郭店楚簡でさえ、老子の時代から約200年後のものです。
『荘子』
荘子は寓話(ぐうわ)を通して、何ものにもとらわれない自由な生き方を説いた、道家の代表的な書です。
戦国時代の荘周の作とされますが、荘周本人の筆とされるのは内篇だけで、外篇・雑篇は後の弟子筋の手によるものです。
成立:今の33篇の形は西晋の郭象の整理
荘周から約600年の差があります。
『列子』
列子は寓話や説話を集めた道家の書で、唐代には『沖虚真経(ちゅうきょしんけい)』として道教の経典にもなりました。
戦国時代の道家(老子や荘子の系統)の思想家・列禦寇(れつぎょこう)の作とされます。
しかし、今の八篇は東晋の張湛(ちょうたん)がまとめ、注釈をつけたもので、思想は魏晋の時代のものと見られています。張湛自身が先人の名を借りて書いた、つまり「仮託」の張本人ではないかという説まであります。
成立:今の八篇は東晋の張湛がまとめたもの
列禦寇から約700年の差があります。
『山海経』
山海経は各地の山や川、そこに住む不思議な動物や神々、異国の人々を記した、神話と地理の書です。
伝説上の夏の初代の王・禹と、その臣下の伯益の作とされますが、実際は多くの人が書き足して今の形になりました。そもそも禹や伯益は伝説上の人物です。
成立:戦国〜漢初ごろ
伝承どおりなら、少なくとも約1700年の差があります。
『黄帝宅経』
黄帝宅経(こうていたくきょう)は住まいの吉凶を説いた家相(風水)の書で、家相学の古典として知られます。
伝説の帝王・黄帝の作とされますが、実際には後世の書です。黄帝は、中国の歴史が始まる遥か手前の神話・伝説の時代の人物(神)です。
成立:唐代ごろとみられている
伝承どおりなら、3000年以上の差があります。
『滴天髄』
滴天髄は四柱推命(子平)の理論を短い韻文で説いた、四柱推命の三大古典の1つです。
宋の京図の作とも、明初の劉基(劉伯温)の作とも伝わりますが、京図は正体不明で、劉基が書いたという同時代の記録も見つかっていません。
劉基の名を冠した本として確認できるのは、早いもので、明末に長庚館という出版元から出た刊本『新鍥誠意伯秘授玄徹通旨滴天髄』です。題名の「誠意伯」は劉基の爵位で、劉基の名で権威付けた本であることが分かります。
劉基は、明建国の英雄で、後世には天文や占いにも通じた人物として伝説化されていました。占いの本に名を借りるには、これ以上ない人物だったのです。
成立:確認できる刊本は、早いもので明末
劉基の死から200年以上の差があります。
実在した孔子や劉基でも、実在が疑われる老子や列子でも、伝説の禹や黄帝でも、起きていることは同じです。
作者の名前は古い時代に置かれ、本はそれより後の時代にできている。
その差は、短くて100年、長ければ3000年以上にもなります。
鬼谷子の仮託
そして、この古典の「呪縛」が、これほどまでにブッ飛んだスケールで表れている例は、他にありません。それが、戦国時代の賢人、「鬼谷子(きこくし)」です。
後世における彼の扱いは異様です。
一応、戦国時代(紀元前4世紀頃)の人物とされ、言葉一つで大国を動かした天才外交謀略家・蘇秦(そしん)や張儀(ちょうぎ)の師として名が伝わっています。
しかし、その実在を証明する客観的な証拠は、今も昔も何一つありません。
道教の世界では: 人間を超越した仙人(神仙)とされ、崇め奉られています。
占いの世界では:顔相・手相を見る「相学」、さらには「占星術」や「風水」に至るまで、東洋のあらゆる占術の神様(開祖)に祭り上げられています。
兵法の世界では: あの『孫子』と並ぶ大軍師・孫臏(そんぴん)の師でもあるとされ、兵法や軍略の天才としても語られます。
このように彼は
「外交・心理・占い・兵法・オカルトのすべてを極めた全知全能のスーパー仙人」
に仕立て上げられた、いわば仮託の神様のような存在です。
その鬼谷子を祖と仰ぐ日本の占術があります。
算命学です。
算命学は鬼谷子を祖とし、四柱推命をその流れから分かれた枝とみています。
次回、くわしく取り上げます。
古典は証明にならない
書名ではなく、「人物・時代・現物・誇張」で確かめる
ある古典が、本当に作者とされる人物の時代のものかどうか。
それを確かめる物差しは、四つあります。
人物:作者とされる人物の「実在」は確かか。
時代:書かれた時代は、「名前の時代」と合っているか。
現物:その時代の本や記録が、実際に「残っているか」。別の時代になっていないか。
誇張:語られている内容が、その時代の「資料で裏づけ」られる範囲を超えていないか。
今回見てきた古典を、この物差しに当ててみます。
人物で引っかかるのは、
『老子』と『列子』です。老子も列禦寇も、実在そのものが確かではありません。
時代で引っかかるのは、
『論語』と『易経』の十翼、『荘子』の外篇・雑篇です。人物は実在していても、本ができたのは後の時代でした。
現物で引っかかるのは、
『老子』と『列子』です。『老子』は最も古い現物の郭店楚簡でさえ今の本と構成が違い、『列子』は漢代の本が失われ、今あるのは晋代にまとめ直したものです。
誇張で引っかかるのは、
『山海経』と『黄帝宅経』です。どちらも伝説上の人物の名を借り、名前の時代と本ができた時代の差は、千年単位にまでふくらんでいます。
書名がどれほど古くても、この四つで確かめられなければ、その時代の本とは言えません。
次回は、この物差しを算命学に当てる
算命学は、戦国時代の鬼谷子を祖とし、四柱推命をその枝とみています。
その根拠は、四つの物差しに耐えられるのか。
次回、一つずつ確かめていきます。
そしてこの物差しは、やがて蔵干・元命・格局を伝える四柱推命の古典にも当てることになります。
まとめ
今回いちばん伝えたかったのは、
「でも、古典に書いてある!」
と盲目的になってはいけないということ。
古典の書名や作者の名前は、その本が書かれた時代を保証しないのです。
孔子の『論語』も、老子・荘子・列子の書も、禹の『山海経』も、黄帝の『宅経』も、
名前の時代と本ができた時代のあいだに、100年から3000年以上の差がありました。
四柱推命の『滴天髄』も同じです。
蔵干が古典に書いてあるとしても、
それだけでは、蔵干が昔からあった証拠にはなりません。
蔵干は本当に徐子平の論でしょうか?

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