前回、四季の時間構造に、土を組み込もうとする考え方を見ました。
ここから、話はさらに大きく動きます。
四方でできていた宇宙に、中央を加えた「五方の宇宙論」が重なっていく。
そして、その中で辰・未・戌・丑の位置づけも変わっていきます。
今回は、この「重なり」を史料でたどったうえで、四象十二支論としての仮説を提示します。
史料が示していること
まず、史料そのものが何を語っているのかを見てみましょう。
紀元前2世紀後半、前漢の儒学者である董仲舒(とうちゅうじょ)が著したとされる哲学・政治書の
『春秋繁露』(しゅんじゅうはんろ)「五行之義」には、次の記述があります。
土居中央。為五行之主。
- 土は中央に位置し、五行の主とされる -
これは『春秋繁露』五行之義(第四十二篇)にある有名な一節です。
さらに同じ篇では、木・火・金・水について、
木居東方而主春氣
火居南方而主夏氣
金居西方而主秋氣
水居北方而主冬氣
と、それぞれに
東・南・西・北
と
春・夏・秋・冬
を対応させています。
そして『土』については、
五行而四時者土兼之也。
五行にして四時(しいじ)なる者は、土これ(を)兼ぬるなり。
五行でありながら四時に関わるのは、「土」がこれを兼ねるからだ
と説明します。つまり、
五行がありながら、季節は4つ(春夏秋冬)しかない理由は、
「土」がそれらすべてを兼ね備えている(内包している)から
といっているのです。
古代中国の「五行説(木・火・土・金・水)」と、実際の季節の「四時(春・夏・秋・冬)」は数が合いません。通常、木=春、火=夏、金=秋、水=冬と割り当てられますが、残った「土」をどう配置するかが学術的な課題でした。
董仲舒はここで、
「土は特定の季節だけを担当するのではない。春・夏・秋・冬のすべての季節の中に『土』がブレンドされて含まれているのだ」
と説明しました(後世の暦では、各季節の終わりの約18日間を「土用」と呼んで割り当てます)。
さらに、
土者五行之主也。
土は五行の主である、と続きます。(Chinese Text Project)
ここでは、土は単純に「五番目の行」として並んでいるわけではありません。
中央に位置し、
四時に関わり、
五行全体を支える存在
として扱われています。
そして、この五行論は自然界だけの話ではありません。
『春秋繁露』「五行之義」では、五行の働きを
孝子・忠臣の行動 になぞらえています。
自然の秩序と人間社会の秩序が、同じ五行の構造によって説明されているのです。
ここに、中央土が政治的な意味を持つようになっていく背景を見ることができます。
『白虎通義』で、中央土はさらに明確になる
後漢の『白虎通義』になると、この構造はさらに明確になります。
白虎通義は『春秋繁露』に続き、中国の後漢(ごかん)時代に成立した国家公認の儒教解説書です。
解説書というか、
儒教をベースにした、当時の国家の公式な『法律・思想・生活全般のガイドライン(憲法)』
といった方が正確かもしれません。春秋繁露から約200年後の時代です。
当時、儒教経典(五経)の文字や解釈をめぐって学者たちの間で激しい論争が起きていました。
そこで後漢の第3代皇帝・章帝(しょうてい)が、宮中の「白虎観」という建物に全国の学者を集めて大討論会を開きました。
その議論の統一的な結論(国の公式見解)を、章帝の命によって編集・整理したのが本書です。
そこには、
土王四季各十八日
土は四季に王(おう)じて、各(おのおの)十八日なり。
「土」の要素は、すべての季節(四季)において支配的な力を持ち、
それぞれの季節の「各18日間」を割り当てられている。
とあります。
つまり、土は一つの季節だけを担当するのではなく、四季すべてに関わる存在として整理されています。(Chinese Text Project)
さらに、
土為中宮
土は中宮(ちゅうぐう)と為る。
「土」の要素は、中央の宮(すべての中心に位置する場所・王宮)となる。
とされます。
これまで登場した「土居中央(土は中央に居る)」「土兼之(土はすべてを兼ねる)」という思想が、天文学や方位・空間の理論(九宮や五宮の説)と結びついて、よりシステマチックに表現された一節です。
まさに古代中国の王朝が「中央集権」や「皇帝の権威」を自然界の法則を使って証明しようとした一連のロジックそのものといえるかもしれません。
そして、
王者必即土中
王者は必ず土中(どちゅう)に即(そく)す。
王者は土の中央に位置する、と説明されます。
ここまで来ると、中央土の意味がかなりはっきりします。
これまで見てきた「土 = 中央 = 万物の主」という五行のロジックが、ここでついに「政治(皇帝の即位と都の配置)」に直接結びついた決定的な一節です。
中央の土が四季に関わり、その中央に王者が位置する。
自然の五方構造と、国家の政治秩序が同じ構造の中に組み込まれているのです。
これまでの言葉を並べてみると、古代の思想家たちが言いたかった美しいストーリーが見えてきます。
- 土居中央。為五行之主。(土は真ん中にいて、五行のリーダーだ)
- 土為中宮。(土は中央の宮殿、すべての要だ)
- 王者必即土中。(だからこそ人間のリーダーである王も、土の真ん中で即位するのだ)
自然界の法則(五行)を使って、皇帝が世界の中心で支配することの正当性をこれ以上ない形で証明している一節です。
「4」の宇宙に「5」の宇宙が重なる
「4」の上に「5」が重なる
十二支の側には、東・南・西・北という四方があります。十二支は、
寅・卯・辰
巳・午・未
申・酉・戌
亥・子・丑
と、四方に三支ずつ配置できます。
4方 × 3支 = 12支。
非常にきれいな構造です。
一方、五行には、
木・火・土・金・水
があります。
木は東、火は南、金は西、水は北。そして土は中央です。
つまり、
四方の宇宙に、中央を加えた五方の宇宙が重なっている。
「4」が消えて「5」になったのではありません。
「4」の上に「5」が重なった。
ここが、四象十二支論の重要な視点です。
そのとき、辰・未・戌・丑は
ここで、十二支をもう一度見てみます。
| 方位 | 十二支 |
|---|---|
| 東 | 寅・卯・辰 |
| 南 | 巳・午・未 |
| 西 | 申・酉・戌 |
| 北 | 亥・子・丑 |
四方の構造では、辰・未・戌・丑も、それぞれの方位を構成する三支の一つです。
ところが、十二支を純粋に「五行配当」で対応させると、
| 五行 | 十二支 |
|---|---|
| 木 | 寅・卯 |
| 火 | 巳・午 |
| 土 | 辰・未・戌・丑 |
| 金 | 申・酉 |
| 水 | 亥・子 |
となります。
ここでは非常に興味深いことが起きました。
四方の各グループから、一支ずつが土に集められているのです。
東から辰
南から未
西から戌
北から丑
そして、この四支が中央土として一つにまとめられる。その結果、
木二支
火二支
金二支
水二支
土四支
という、現在まで続く不均等な配当になります。
四象十二支論から見る十二支の五行配当
ここからが、四象十二支論による仮説です。
もともと十二支には、
東三支・南三支・西三支・北三支
という四方三支の構造があった。そこへ、
中央に位置し、四季に関わり、五行の主とされる『土』が重なった。
しかし、十二支には中央の区画がありません。
そこで、五行を十二支に対応させると、四方の各グループから一支ずつが土へ配当される形になった。つまり、
木二支・火二支・金二支・水二支・土四支となりました。
これが、辰・未・戌・丑の土配当ではないか。
元々は東西南北に合った十二支の中の四支が、中央に配置転換された。
これが四象十二支論の仮説です。
もちろん史料に「四方から一支ずつ土に移した」と書かれているわけではありません。しかし、
四方三支という既存構造と
中央土を持つ五行体系を
重ねると、現在の十二支五行配当がなぜこの形になったのかを、非常にシンプルに説明できます。
辰・未・戌・丑は、方位から消えたわけではない
ここで重要なのは、辰・未・戌・丑が方位から消えたわけではないことです。
辰は東方にいる。未は南方にいる。戌は西方にいる。丑は北方にいる。
方位上の所属は、そのまま残っています。
ただし、そこに≪五行上の所属≫が加わった。つまり、
方位では四方の一員。
五行では土の一員。
という二重構造になったのです。
この二つを最初から一つの体系だったと考えると、十二支の構造が分かりにくくなります。逆に、
まず四方三支を見る。
その上に五行を重ねて見る。
そうすると、辰・未・戌・丑の特殊な立場が見えてきます。
四象十二支論
ここは明確に区切っておきます。史料が直接示しているのは、
中央に土が置かれること。
土が四季に関わること。
土が五行の主とされること。
そして中央と王者の位置が結びつくこと。
ここまでは史料から確認できます。(Chinese Text Project)
一方、
だから辰・未・戌・丑が四方から一支ずつ取り出され、土に配当された
というところは、史料にそのまま書かれているわけではありません。
ここから先が、四象十二支論の仮説です。
私は、中央土の「五行体系」が、すでに存在していた四方三支の「十二支構造」に重なったことで、
この不均等な五行配当が形成された可能性があると考えます。
これは、単なる「五行十二支」という完成した体系を前提にするのではありません。
四方の十二支に、後から五行の分類が≪不自然に≫重なった。
そう考えることで、なぜ土だけが四支を持つのかという問題も見えてきます。
「4」から「5」へ――しかし「4」は消えなかった
ここが、第二章の核心です。
四象十二支論がいう「4から5へ」とは、四方構造が消滅して五方構造になったという意味ではありません。そうではなく、
四方・四季・十二支という「4」の構造の上に、中央土を含む「5」の五行体系が重なった。という意味です。だからこそ、十二支には二つの顔があります。
一つは、東・南・西・北という四方の顔。
もう一つは、木・火・土・金・水という五行の顔。
辰・未・戌・丑は、その二重構造をもっとも分かりやすく示しています。
四方の世界では、それぞれ別々の方位にいる。
五行の世界では、四支まとめて土になる。
この二つを≪一時的に≫分けて見ることが、四象十二支論の出発点です。
そして、ここから「消えた陰陽五行」が見えてくる
ここまで来ると、五行を一つの完成した体系として見ることに、少し無理があることが分かります。
古代の時間・方位構造には「4」がある。
そこに「5」の五行体系が重なる。
さらに、土をどう時間に参加させるのかという問題が生まれ、土王四季のような考え方が現れる。
つまり、古代の五行思想には、最初から一つの完成形が存在したのではない。
四季・四方の世界と、五行・中央土の世界が重なりながら、
さまざまな五行論が作られていった。
現在私たちが「五行」と呼んでいるものも、その中の一つの完成形にすぎないのではないか。
そして、もしそうだとすれば――
四柱推命のように十二支を中心に運命を読む命術では、
現在の五行配当だけを絶対視する必要はないのかもしれない
むしろ、現在の五行配当が成立する以前に、十二支がどのような構造で理解されていたのかを見直す必要があります。
四象十二支論とは、その古い構造をもう一度取り出して考え直すための仮説です。
まとめ
- 『春秋繁露』では土は中央に位置し、五行の主とされ、四時にも関わる存在として説明されている
- 『白虎通義』では土は四季それぞれに「王し」、中央に位置し、王者の座とも結びつけられている
- 十二支には、東・南・西・北に三支ずつを配する四方三支の構造がある。
- そこに中央土を含む五行体系が重なったと考えると、辰・未・戌・丑が土にまとめられる現在の配当を構造的に説明できる。
- ただし、「四方から一支ずつ取り出した」という具体的な形成過程そのものは、史料に直接記されているわけではない。したがって、ここは四象十二支論による仮説である。
- 四象十二支論では、「4」が「5」に置き換わったのではなく、「4」の構造に「5」の体系が重なったと考える。
- この視点に立つことで、五行には複数の歴史的な形があり、「現在の五行論」だけを絶対視することへの疑問が出てくる
四方三支の構造は消えませんでした。その上に、中央土を含む五行の世界が重なった。
そして四方にいた辰・未・戌・丑は、別の分類では「土」と呼ばれるようになった。
十二支を理解するためには、この二つの構造を、最初から一つだったことにしてはいけない。
まず「4」を見る。
その上に「5」が重なった過程を見る。
ここに、四象十二支論があります。
そして問題は、ここで終わりません。
五行の体系が国家の宇宙論として表舞台に立ったあとも、古い「四方三支」の構造は消えずに残りました。
では、それはいったいどこに残ったのか。
次回、第二章の最終回。六壬神課の式盤へ。


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