前回は、現行の五行体系における「土の位置づけ」を問題にしました。
今回は、もう一つの構造的な問題である「蔵干の配列」に踏み込みます。
四柱推命は、出生した瞬間の自然の状態を干支によって捉える命術です。
そうであるならば、十二支の内部に配された蔵干もまた、自然の季節循環や気の生成順序と整合している必要があります。
ところが、現在一般に用いられている蔵干の配列を季節の流れに沿って見ていくと、いくつかの不自然な配置が見えてきます。
問題点② 「蔵干」の構造
蔵干の配列は「自然」よりも「土の優先」を重視した
蔵干とは、十二支の内部に配されている十干のことです。
一般の四柱推命では、支の表面に現れている本気だけではなく、支の内部に隠れている余気・中気・本気を見ることで、その支が持つ複数の気を読み取ります。
この考え方そのものは、十二支を一つの単純な気だけで捉えず、その内部の変化まで読み取ろうとする技術です。しかし、問題はその中身の配列そのものです。
①寅月と辰月の矛盾
まず、春の流れを見てみましょう。
一般的な蔵干では、次のように配されています。
| 地支 | 季節 | 蔵干 |
|---|---|---|
| 寅月(2月) | 初春 | 戊・丙・甲 |
| 辰月(4月) | 晩春 | 乙・癸・戊 |
ここで注目するポイントは、まだ春が始まったばかりの寅月に「丙(火)」が存在していることです。
一方、春が進み、夏に近づいた辰月には、その「丙(火)」がありません。
自然の季節循環として考えるなら、春から夏に向かって巡る中で、
木の気が盛んになり、そこから火の気が次第に強まっていく流れを考えることが自然であるべきです。
ところが蔵干の配列では、寅(2月)にすでに丙が現れているにもかかわらず、その先にある夏に近い辰(4月)では丙が消えています。
これは、少なくとも「季節の気が連続的に移り変わる」という自然循環のモデルから見ると、不自然な配置といえます。
②申月と戌月の矛盾
同じ問題は、秋から冬へ向かう流れにも見られます。
一般的な蔵干では、次のように配されています。
| 地支 | 季節 | 蔵干 |
|---|---|---|
| 申月(8月) | 初秋 | 戊・壬・庚 |
| 戌月(10月) | 晩秋 | 辛・丁・戊 |
申月(8月)は秋の始まりです。
その内部には「壬(水)」が配されています。
一方、秋が進み、冬に近づいた戌月(10月)には、その「壬」がありません。
冬へ向かうほど水の気が強まっていくという季節循環から考えれば、これもまた不自然です。
そして、寅と辰、申と戌という二つの事例を並べてみると、
偶然とは考えにくい共通した構造が見えてきます。
その「犯人」は同じです。
それが、辰・戌・丑・未という四つの土支です。
この四支には、それぞれ土の気が本気として配置されています。
その結果、季節の流れの中に本来連続していくはずの木・火・金・水の気とは別に、
土が優先して配置される構造が生まれています。
つまり、春夏秋冬の各季節の末月に「土の本気」が来るということです。
すると、本来組み込まれるはずだった「次の季節の五行」が土によって弾かれてしまうのです。
蔵干の配列は、自然の循環をそのまま写し取ったものというよりも、
「土」を特別に扱う五行体系に合わせて設計された配列として見ることができます。
問題点②「蔵干」の構造問題が生みだした歪み
蔵干は、地支の内部にどの十干が存在するのかを決めるものです。
そして、その蔵干をもとに地支の通変星を判断する以上、蔵干の配列が変われば、命式の読み方そのものが変わります。
「通変星のズレ」という歪み
蔵干の「この支の中に何が隠れているのか」という細かな技術には大きな意味があります。
なぜなら、蔵干としてどの十干を本気として採用するかによって、日干との関係から導き出される通変星が変わるからです。
つまり、蔵干の配列が変われば、命式から読み取る情報そのものが変わります。
しかも、蔵干の配列は流派によって完全に一つに統一されているわけではありません。
同じ命式であっても、どの蔵干表を採用するかによって、地支の通変星が変わることがあります。
ここで、特に重要になるのが「月支」です。
生まれた月の地支である月支は、四柱推命において単なる十二支の一つではありません。
一般的な四柱推命では、月支から導き出される通変星は「元命(げんめい)」または「格局(かくきょく)」として、命式を判断するうえで重要な位置を占めています。
つまり、月支の蔵干が変われば、月支から導き出される通変星も変わります。
それは、命式の中心として扱われる元命や格局の判断まで変わるということです。
同じ生年月日から作られた命式であっても、採用する蔵干表が違えば、月支から導き出される通変星が違ってくる。すると、その人の性格や社会的な運命の核として読む部分まで、体系によって変わってしまうことになります。
「何を根拠に、その命式を読むのか」という、土台そのものに関わる問題です。
そもそも、同じ命式に対して、採用する蔵干の違いによって鑑定結果が大きく変わるのであれば、少なくとも、
その中に四柱推命として正しくない体系や流派が複数存在する
ということになります。
もちろん、流派ごとに独自の解釈を持つこと自体が問題なのではありません。
問題なのは、自然の季節循環を読むはずの命術において、その基礎となる蔵干の配列が統一されておらず、その違いが、最終的には命式の中心的な判断にまで影響していることです。
「蔵干技術」と「土の設計問題」は別のもの
ここで区別しておきたいのは、「蔵干」という技術そのものと、その内部に何を配置するかという「設計」です。
問題なのは蔵干という技術ではありません。
自然の連続性を捉えるはずの蔵干に、なぜその十干が配置されているのか。その設計そのものを問い直す必要があるのです。
蔵干の構造問題 まとめ
ここまで見てきたように、現行の蔵干には、季節の自然な生成順序から見ると不自然な配置があります。
寅月にはすでに丙があるのに、夏に近づいた辰月では丙が消える。
申月には壬があるのに、冬に近づいた戌月では壬が消える。
そして、その背景には、辰・戌・丑・未を土支として扱い、
それぞれに土の気を優先して配置する構造があります。
つまり、ここでも問題の根は、前回取り上げた「土の位置づけ」とつながっています。
土を四つの地支に配置するという設計が、蔵干の配列にも影響を与え、
その結果、季節の循環を読み取るはずの命式の内部に、不自然なズレが生じている。
では、この二つの構造的な問題を取り除いたら、命式はどのような姿になるのでしょうか。
ここまで、現在の四柱推命が抱える問題を、歴史と構造の両面から見てきました。
しかし、「幻の陰陽五行」は、現行体系を批判するためだけの理論ではありません。
その先に、自然の循環を改めて捉え直す新たな体系があります。
その第一歩として、次回から我々の琉球四柱推命がどのような構造を持つのかを紹介していきます。


コメント